網本麻里(あみもとまり)さんは大阪府出身の車いすバスケットボール選手。
2020東京パラリンピックに続いて、2024パリパラリンピックの日本代表選手に選出されました!
車いすバスケットボール選手ということで皆さん歩行困難者なのかと思われている方が多いですが、歩行可能な選手もいます。
網本麻里さんは後者の歩行可能な選手です。
この記事では、なぜ網本麻里さんが車いすバスケットボールをしているのか調査しました。
網本麻里は歩ける
網本麻里さんは生まれつき、右足首の骨が内側に曲がる「先天性内反足」。
日常生活で車いすは使わず歩くことはできるが、長時間歩くと右足首に痛みが出るし、走ることはできません。
車いすバスケは障がいの重さによってクラス分けがされています。
障がいの重い順に1点から4.5点まで0.5点刻みで選手一人一人に点数が与えられ、コートに出ている5人の持ち点合計を14点以内にしなければなりません。
網本麻里さんは健常者に該当する、障がいレベルが一番軽い4.5点の選手です。
障がいが軽い選手をハイポインターと呼び、ボールが取れて、体を起こしてプレーができるボジションを任せられることが多くなります。
体操でオリンピック出場を夢見ていた幼少期
網本麻里さんは生まれつき右足首が内側に曲がっていたため、2歳の時に手術をして歩けるようになりました。
2歳半からはオリンピックで数々のメダルを獲得した体操選手、池谷幸雄さんと同じ体操教室に通い、器械体操でオリンピック出場を夢見ていました。
しかし小学3年生の時に友達に誘われ器械体操はあっさり辞めてしまい、バスケットボールに没頭するように。
競技は変わったが夢はそのまま、「バスケット選手としてオリンピックに出たいとずっと思っていた」そう。
体を動かすことが好きだったんですね!
車いすバスケとの出会い
網本麻里さんが車いすバスケと出会ったのは小学6年生の時。
実家の近くに「障がい者スポーツセンター」があり、母と一緒に見学に行ったのがきっかけだそうです。
その時はまだ普通にバスケができていたので、
「ああ、こんなバスケもあるんやな」
くらいな感じで、正直あまり乗り気ではなかったそう。
しかし中学2年の時に、2度目の手術をして走る事ができなくなりました。
医者からは「バスケットボールは辞めなさい」と言われ、毎日泣いていたそうです。
大好きなバスケをやめるのは簡単なことではないですよね。
そして高校1年の時、知り合いの方からオーストラリアで車いすバスケットボールの遠征があることを教えてもらい、参加したことがきっかけで車いすバスケットボールへの転向を考え始めました。
まとめ
いかがでしたか?
この記事では、なぜ網本麻里さんが車いすバスケットボールをしているのか調査しました。
網本麻里さんの今後の活躍が楽しみです!
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